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紫子と舞鶴

2010年02月12日 02:23

あい(・∀・)ノちはー
元気ですお。ていうか風邪治すために大人しくしてますお。
aiaiでつ(言われなくてもわかってる)

皆様からの自慢&中日観劇ご報告ありがたく読ませていただいてます。
羨ましいですほんと☆
あさかながいらしたとかねー。
aiaiあわよくば行こうと思った日だったんで(珍しく仕事に止められる)
いろんなものを噛んでくやしがりました。臍とか。(無理)

でもなんか評判がよくって
いやここにいらっさるぐらいなんで
霧矢ファンの欲目でいらっさるのかもしれませんが(笑)(失敬ですよ)
みなさん調子がよさそうでよかったです。

はい、怒涛の更新…のつもりがなんとなく自信がなくなって
行き詰まってました紫子語り。

週末に行くのでそこではまた印象が変わっているかもと思い、
急いで仕上げたのでイマイチ歯切れが悪いかもしれません。

しかし長いですね。
よくリアルで知ってるひとにあんたのは長くて読む気がしないと言われます(・∀・)ノ
うんしってる自分のために書いてるからね☆

でも拍手をいただくのは素直に嬉しいです。ああ!読んでる人いる!て気持ち。
まあ読んでらっさらないで間違いで押してる方もいるのかもしれませんけども。

そしてまた性懲りもなく初演を見なおして気づいた小ネタ
紫子と舞鶴の歌
「果てしない荒野のただなかにも」てやつ。
歌詞変わったんですかね?
初演では一貫して「明日を信じて歩き続ける」と歌っていたところ、
確か中日では「夢を夢であきらめたくない」と歌ってた気がするんですよね。
ていうかそういう話を某Hさんとしたから間違いないですが
ナウオンでも「歌詞を変えて歌っている」とかいってましたし
また今度行った時きいてみます。
流石に二人揃って歌詞まつがいはしないだろ(笑)

それから、教えていただいたのですが
ショーのロックのシーンの車のナンバーが
『HK758』となっているそうです。
チェキラ☆

さて本題の紫子様について。
aiaiの勝手な深読み紫子像と萌えシーン(萌えじゃないだろ)
こないだ書きましたが大野君にとってこの作品のテーマは
「乱世に生きる女達の悲哀」ですた。
主人公の紫子は、単純に「男として生きなければならない運命に翻弄される女」
と割り切って描いている。
というか霧矢さんの持ち味なのかもしれないけど。
新聞記事で木原先生にも「直球勝負」と言われてましたし(笑)

しかし柴田先生はそんなストレートに描いたかなあ?という話。
いや、これは演出の違いではなく演者の違いなんかもしれないんで
単なる仮説でしかないんですけどね。

柴田作品では紫子を
男の魅力も女の魅力も兼ね備えたファンタジックで稀有なキャラクターとして
描いたんじゃないのかなっていうのがaiaiの仮説。
柴田先生はヒーローモノを描く先生なので
やはり紫子はヒロインというよりヒーローの側面が大きい気がして。

実際峰ちゃんは特にまいまいと一緒だと本当に男らしくりりしくカッコイイ。
包みこみ、守るべき相手として舞鶴姫を扱う。
みていても男なのか女なのかわからない。
そのゆらぎこそが峰ちゃん紫子の魅力だと思う。
他のシーンでもものすごく男らしいかったり、でもか弱い女だったり
プリズムのようにいろんな見え方をする。

霧矢紫子は明らかに女なので
見た目の男らしさや男らしい心意気や仕草や潔い考え方をもってはいても、
生身は正真正銘、間違うことなき女である紫子が兄の身代わりとして生きる。
その健気さ。儚さが魅力なんだと思う。(今儚いって書くのちょっとためらったけど)(おい)

そして、更にそれが一番出るのが意外にもまりもちゃんといる時であるという
峰ちゃんと真逆なところが面白い。

携帯からも書きましたが、霧矢さんの紫子はまりもちゃんの舞鶴姫と対峙した時
もっともその魅力が出る気がするのです。
うーん魅力っていうのは変ですかね。aiaiの好みだけの問題なんですよね。
素直に気持ちが出ているっていったほうがいいかも。

いやもりえ風吹やみりお定嗣に不満があるわけでは毛頭ないです。
それにはちゃんと理由があって
もちろん相手役さんということで集中力が増すというのもあると思うけど

(かーなーり余談ですが
そして霧矢さんは宝塚のそういうシステムを意外と大事に思ってると思う。
これ書いたのははじまりの時観る前だけど、それと舞台レポで確信しますた。
コンビ愛至上主義者としては嬉しかったです。)

もとい、
霧矢紫子が舞鶴姫との場面でぐっと良い味を出すのは
何より紫子として、霧矢さん自身が
舞鶴姫の心情に一番シンパシーを感じているからなんじゃないかと思う。

ということで今のところ今回の紫子で一番好きなシーンはあやめのシーンです。
ここってホント、似たようで似ていない
紫子と舞鶴の生きざまが表現された名シーンなんじゃないだろうかと思う。

家来たちを遠ざけて、紫子は女としてそっと舞鶴の身の上を気遣う。
政略結婚に腹を立てたりしないのか?
自分の生き方を選べないということをどう思うか?

しなやかに生きる決意を述べる舞鶴姫。
私はあきらめていない。幸せになることを。
そこで紫子は驚き、感じ入る。
新しい生き方を眺める。
この娘が幸せになるといいと願う。
「あなたは大した姫様だ」という台詞が好きです。

柴田先生がこの作品のテーマは自己犠牲とおっしゃっていますが
正に紫子って自己犠牲の塊でそれ以外に生きる道をもってない子なんですおね。
自らが選んだ道ではあるけれど
佐伯に来る前は母親のためといって大胆にも花街に身を売っていたわけで(とんでも設定ですな)
その後は恋した男も捨てて佐伯のために男として兄の身代わりになる。
そんな、自己犠牲をそれと知らず当たり前のように生きてきた紫子が
舞鶴姫というもう一人の女性に出会い初めて自分を顧みる。

その悲哀。

時代と権力に流されているようでいて
そこに確かに自らの幸せを見出そうとする舞鶴。
男らしく強さをもっているようでいて
実は自分を見失い流されているだけの生き方をしているのは
自分の方だったんだと気づくんじゃないかな。

あやめのシーンでは歌と踊りしかない中で
ものすごく細やかに紫子の立場や舞鶴姫に寄せる同情が表現されていて
ああ霧矢さんの芝居好きだなあと改めて思ったりしました。
いや、相変わらず芝居より歌と踊りの方が表現力があるってことか(笑)

菖蒲の中に遊ぶ二人がそれぞれ寂しさや不安に襲われ、それをお互いにそっと慰めあう。
そこに確かに絆がみえる。
舞鶴を姉妹のような愛情で包み込む紫子。
未来の夫(だと思っている相手)のみせる優しさに幸せな微笑みを漏らす舞鶴。

それを見てきっと紫子は思うのだと思う。
「私の幸せはいったいなんでしょうね」(byオスカル様)(コラ)
だからそこでふと寂しい顔をみせるんじゃないかな。

そしてきっと碧生の全快した暁には紫子も
自分らしく生きてみたいという
希望が芽生えもしたんじゃないかとまで思わせられる。
佐伯を守ることが亡き父母の願いであったとしたら
今はその務めを果たし、いつの日か
この姫のように自分もささやかでも自分の幸せを求めて生きてみたいと
思ったんじゃないのかと。
そんなちいさな願いが生まれたんじゃないかと。

…いつもながら深読みしすぎですけども(笑)
私にはそんな風に感じられて、
だからこの場面の終わり、二人して希望をみつめて終わるところが
酷く切ない。

まあそんなaiaiの妄想はさておき

その道しか知らず懸命に健気に生きる紫子という役柄設定に
霧矢さんのキャラは合ってたと思う。

だからこそこんなにも嵌ったという気がします。(aiaiが紫子というお芝居に)
もうキュンキュンくる。(健気な霧矢さんに)

大野解釈、もしくは宛て書きの勝利ですかねー。

本当はもっともっと書きたいことがいっぱいあるけど
紫子さんのことを書くなら作品全体に渡ってしまうので
それはまた作品のツボ語りで☆(できるんか)(てか今から長そうで我ながらgkbrです)

ではー(・∀・)ノ


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