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邪な源氏物語を救え 東宝版夢の浮橋

2009年02月06日 23:29

…結局今日は行ってませんよ。
某Tさんからの速報では今日はボブちゃん登場だったそうです。
ああ明日の最後の観劇はロングヅラか…orz ←観点おかしい

しずくたんが大変な風邪っぴきだそうでつ(´・ω・`)がんば!

さて、明日までに東宝での変更の話をさらっと…できたらいいんだけど。
あと新公の感想と二の宮の話もしたい。
全体のツボ語りもしときたかった。

…明後日千秋楽だけど。

それにしても大野君の名前、歴史の史の字がついてますけど
つけたのが御両親だとしたら「息子さんは立派な歴史ヲタに育ってますよ…」と
名前を見るたびいつも思う。(アレは歴史ヲタなのか?)

はい、長いですよ。(予告)
東宝版になって、大君と浮舟は別人!キャンペーンの他に大きく変わったのはやはり
数珠の扱いですね。

ポスターできりやんが持っている大きな男数珠(?)。
それをぼとりと取り落とすという心の弱さや喪失の象徴であったのが、
キラキラとした水晶の女数珠を受け渡していくという演出に変更され
救いの象徴きりやんお茶会談)になっています。

これって相当大きな方針転換ですよね?

文学の素養のない私はすぐには気づきませんでしたが
初見だった某P嬢が「光源氏をこんなに禍々しい存在に描くなんて!口ポカーンだ!」と
憤慨してらっしゃいました。(何度も言いますがこんな話し方はなさいません。)

ああ言われてみれば大野君の源氏への怨念(笑)が…。
光源氏だけでなく源氏全体が悪者だもんなぁ…。
手勢が追ってくるんだもんねぇ。

心が壊れて女一の宮にトラウマを与えてしまう光源氏。
その子供たちは保身のために自らの子供たちを傀儡に仕立てようと必死だ。
孫(薫は子ですが孫世代ですね)達は光源氏の轍は決して踏むまいと
愛すること、恋うる想いを罪として避けて生きている。

暗闇の時代ですなぁ。

大劇場版では更に
薫を宮中という名の棺に引きずりこむことまでする。
正に悪の権化な光源氏様。

これってやっぱりちょっとまずかったんじゃないですかね。

で、その色を薄めて、本来の三角関係に重点をかけ直したのが
東宝版夢の浮橋なんじゃないかというのが私の感想です。

と、なると、匂宮がなぜ薫を追いかけたかっていうのも
ニュアンスが変わってくる。

大劇場版では彼は薫を本当に気にかけていたと思う。罪に落された可哀想な子として。
だから救おうと必死。
最初のシーンも、大君の死に囚われている薫を思うと思いだされる心象風景に見える。
薫の狂い方も半端なかった。
霧矢さんは感情を抑える芝居をすると目が死ぬよね。(笑)

東宝版では、あの数珠に象徴される、
罪が無かった子供時代をやはり追いかけているのかとも考えたけど
あの時おじい様から頂きたかった数珠を受け取った者として
ちょっとした嫉妬の対象としてみていると考えた方がいいのかも。
きっと原作的にも自然と競争心が沸く理由としてもその方がしっくりきますよね。

ただ、あーこがそういう演技をしているかっていうとそうじゃないですけど(コラ)

薫は薫で、匂宮から救ってもらう立場から、
最後に救いのアイテムを匂宮に渡す立場へと
立場の逆転がありました。

それでやっと二人が並び立つ公達に見えるわけで。
なよなよとした守ってもらうだけの薫よりは、
こっちの方が今の霧矢さんには合ってたんじゃないかなぁと。
「更に狂はじ」の元重君のイノセントぶりはもうないんだよってことで。
それが大野君が言ってた「成長」だと思ってます。

私ね、東宝の薫はなぜか普通にモテそうに見える。(←ファンの欲目らしい)
大劇場はもっと可哀想が先にたって、そんな風には全く見えなかった気がします。
コミュニケーション下手で痛々しすぎてどうしようもないなって。
仮に奴がモテたとしても身分と家柄だけで女が寄ってくるだけでそって。(酷い)
だから浮舟を捕えて放さない魔物度が上がってました。
大劇場版ではそんな狂った魔物を匂宮が調伏し救うために
彼自身の愛を捨てる話でした。

それが普通の男になったことで、浮舟の存在がクローズアップされ
彼女を二人の男が取り合うという本来の話に戻った気がします。

東宝版しか観ていない某Pちゃんが
相手役が薫っていう人がいるのが腑に落ちないと言ってて(そらそーだそれは大劇版)
じゃあ東宝版のヒロインは誰?と話してたんですが
東宝版は匂宮と薫と女一の宮が浮舟に助けを求める話なんじゃないかと
浮舟ちゃんヒーロー説を唱えるaiai。

プロローグが匂宮の薫についての思い出から、普通に3人のトラウマになり
3人がそれぞれそのトラウマにどう囚われ、
それに出会うべくして出会った浮舟がどう絡んでいくのか
という構図(物語)になったんじゃないかと。
(ああだからあそこで「笹舟」がでてくるのか。)
罪に囚われ惑っていて、ふいに流されてきた浮舟に縋る3人。
女一の宮は直接は縋ってませんけどね。

と、そこへ行く前に東宝版の薫のモテキャラ設定の話を延々としたい霧矢ファン。
絶対違うってみんなに言われるけど。

ということで興味のない人はこっから★まで飛ばしてくださって結構よ!

大劇場ではあのじっとりと根暗でモテなさそうな薫が(コラ)
なんで笹舟のシーンであんなこと言うんだろう?って謎だったけど
東宝の薫なら、女一の宮への軽口に混ぜたさらっとした告白に見えるし
あいつモテ男だからあんなこと軽々と言えるんだよねって思えたの。

ああいうことをさらっと言える男はそれなりに場数を踏んでるものだと思います。

「あのときさー好きだったんだけど、気づいてた?」ってちょっとした口説き文句ですよね。
それが普通に似合って見える…時もある。(霧矢さんの演技は日替わりだと思います)

だってそんなこと言って「は?」ってそしらぬふりを通されてもカッコ悪いだろうし、
「どう?嬉しいでしょ?」っていう自信がなきゃあんなこと大人が言えないよね。
相手を喜ばせる言葉としても、もちろん好意が無ければ言わないだろうし
女一の宮を物凄く大切な、心許せる相手として扱ってみえる。
今の本命じゃないにしても大切な女なんだなと。

で、そういう相手にも軽口を叩ける余裕ってもんもあるだろうし。
もちろん浮舟ちゃんという秘密を持ってるからこその自信でしょうね。
あそこでの彼の「秘密」というものは心浮き立つモノなんだろうと思う。

浮舟への態度も、同じく酷いものだけど(さらに大君がらみで酷く感じられるけど)
ただのミスコミュニケーションの不器用君だった大劇場版より
モテ男だからこその尊大さが出ているから男役としてはいいと思う。
もっと冷たく言い放ってもいいと思う。
大君の形代として扱っているわけだけど
東宝版では変態風味が薄れてむしろ女を自分好みにしたいという傲慢さにとれる。
女は自分のために何でもして当たり前なんだもの。
彼の周りにいた女は琴ぐらい弾けて当たり前だったし
彼自身管弦の天才だからそんなのすぐ弾けるようになると思ってるの。

もちろん自分も屋敷を用意したり着物を用意したりまめ人らしく配慮はできるんだけど
(しかしそれが大君のだっていうとこは完全狂ってますけど)

自分が注意を向ける。
ただそれだけで相手が幸せを感じるってことを知ってる。
だから顔を覗き込む。
そうすると女は何も言えずに肯くのを知ってるから。

琴の話をして浮舟を覗き込み、浮舟がうなづくっていうのは
大劇場でもやってましたっけ?
要するに彼のいつもの手なわけで。
それが浮舟説得シーンでもリフレインされる。

わーさいてー☆

もちろん浮舟が二度目にうなづくのは、
薫の魅力に打たれたからでもなんでもないわけですけど。(罪の意識だね)

それじゃ罪を恐れる薫じゃないじゃん!って気もしなくはないけど(笑)
薫もそういう女遍歴も重ねた普通の男に見えることで
「恋することを畏れる」というのは
薫にとっても「彼女を作ったりすること」とはまた別のことで、
真に生身の自分をさらけ出し恋に溺れることなんだと。
その辺りがすっきりした気がします。

ま、薫も匂宮と同じようにプレイボーイだったわけっすよ。ちょっと根暗なね(笑)

★…気が済んだ?>aiai(御幸の後で浮舟が盛装してるのについても言いたい)(もうよせ)

ということで、光源氏の流れを汲みトラウマを抱えた3人は
浮舟に出会い、それぞれ恋と喪失を知る。
背を向けていた恋や自分の中の罪の意識を知る。

まずは薫。そして匂宮。そして匂宮から間接的に女一の宮に。
恋と目覚めの連鎖。封じ込めた心の傷が開き血が流れ出す。
そして縋りつかれて耐えきれなくなった浮舟は自ら命を投げ出す。

そこで匂宮は彼女をその手から逃すために
宮中で生きていく運命を甘んじて受ける。
命じるという一歩高い位置に自らを封じ込めることで薫の罪も背負っていくことを決める。
薫はそんな匂宮の背負う運命の重さに対し敬意をこめて
餞としてかつて六条院から受け取った紫の上の数珠を手渡す。

それを受け取り階を上ろうとした匂宮に浮舟の琴の音が聞こえる。
不意に襲われる郷愁。愛することへの渇望。思わず手を伸ばす。
とりもどしたい。けれど。
3人で受けたトラウマは自らが背負っていくしかないという覚悟。
それも数珠と共に薫から受け取ったのだと思う。
それを想い全てに背を向け宮中へと上っていく。

と、やはり幕切れの演出変更については消化しています。

大野君の結末のぐだぐだ加減はいつもどおりですし
今回さらに物凄く迷いが見えるので理屈としてすっきりしない人も多いと思うんですが(笑)
まあどういう意味なのかなって考えるのが好きな人とか
リピート好きな人には毎回新鮮で面白い舞台だったと思います。

で、新公はこれまた違う演出なのな!
これも別記事立てるけど源氏物語という原作に近いのは新公版だったと思います。

さらに分かりやすい作りになってるんだよね。台詞も多いし。
東宝でカットされた台詞が残ったまま東宝で増えた台詞もありつつ
さらに追加で台詞があったりした。
新公って時間の制約があんまりないのかな?

でもオリジナルにこだわり、独自の物語を作りたいという大野君の欲求と
ナイーブな演技が持ち味のあーこへの宛て書きの結果こそが
本公演版だと思う。

しかし同じ題材で3パターンも楽しめて本当に満足です。
大劇場版が観たくてDVDが欲しい。(最近CSは東宝千秋楽映像しか放映しないし)
が、どうせ通った作品は記憶を汚さないために買ってもみないことが多いので
どうしても見たくなるまで買わないことに決めました。

ということで次は新公の話をしたいけど
もう目が限界(笑)
また長すぎるかな。


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